しそたの日記

更新は思いつき。人生も思いつき。

続・4年間を振り返る。

はじめに

前回のブログで、4年間で得たものを

自分で考える限りでは「自分の意見の言える丸い人間になったな」と思う。

というあたかも誰でも言えそうなもので終わったので、これについて深掘りしていこうと思う。

なぜこう言ったのか

まぁ色々な理由があって上記のような簡単な言い方になったので、その理由を列挙していこうと思う。

  1. 物語の最後には自分の人間性について書きたかった。
  2. ブログを書くのにあまりに時間がなかった。
  3. 自分の生き方とアニメSonny Boyに通ずる点があり、Sonny Boyのあるセリフ「可能性の箱を開けているだけのただの観測者なんだよ。」を使いたかった。

雑に書くとこの3点という感じである。

深掘り開始。

さぁ深掘りしていこう。実は「自分の意見の言える丸い人間になったな」には続きがあって、「自分の才能の開花とその自覚」である。
まず、下の画像を見てもらいたい。

これは簡単に言えば僕の脳内を視覚化したものである。「箱」は未来に起こり得ること、「数字」と「グラフ」は起こる確率とその分布*1と解釈してもらいたい。

まず、注目したいのは自分の中に「箱」がいくつかあるかである*2。これは簡単に言えば、数学の場合分けと似ていてどれだけ分け、予測できるかである。経験上、自分には他者より「箱」の数がかなり多い。
そして、矢印で書いたように、それらの確率は何かしらのactionで変わると自分は考えている。会話だったり、行動だったりで。だから、自分は「確率論の中で生きている」とたまに思うことがある。
ここまで話して、「意見の言える丸い人間」にどう繋がるのかであるが、高校生のくらいまではそこに「矢印」はなく第一段階で止まっていたという感じである。ただただ確率分布を観測し、イベントが発生した時に箱を開け確認するという観測者であったということだ。だから、

「可能性の箱を開けているだけのただの観測者なんだよ。」

というセリフを引用した。

では次に、「意見の言える」について考えていきたい。
「意見を持つ・言える」というのはある段階で1つ「箱」を選ぶことと考えると、最終的に欲しい「箱」に近づける(遠くなる可能性もあるであろう)作業が可能である考えることができる。そうして、確率分布を変化していき、自分の欲しい「箱」・見たい「箱」の可能性を上げていく作業をしているという感じである。

こういった考えを纏めて、自分の才能であると気づいたのは比較的最近のことである。
まず、やはり「箱」の多さである。「箱」の数を多くするにはやはりどれほど「考え方」を吸収するかであると思う。経験則もあれば、本で知識を得ても良いし、他者に聞くことでも増えていくであろう。さまざまな考えを持つことで「箱」の数が増えると思う。小さい頃によく言われるかもしれない「相手の立場になって考えなさい」というその立場を増やす的なことだ。
ちなみに、本で知識を得るといったが、私はあまり本を読まない。ここ最近20代に入ってくらいからは読むようになったが、それまでは活字恐怖症あるいは縦書き恐怖症を名乗っていた。やはり、重要視すべきはその後に書いた、生身の人間の1対1のコミュニケーションにあると思っている。
ここで、コミュニケーションという点で1つ言っておきたいことがある。それは先輩には尊敬する気持ち50%・馬鹿にする気持ちを50%で、後輩には尊敬する気持ち70%・馬鹿にする気持ちを30%で接するという心構えみたいなものだ。パーセンテージは適当にしたがまぁこんなものである。嵐の二宮和也が先輩にタメ口を使うのと同じで、と有名人の名を借りるのはずるいとは思うが、考え方としては似ているような気がする。先輩を敬うだけでは越えることはできないと思うし、自分の考え方に固執せず新しい意見として新たな時代を生きる下の世代の考えることを聞いていきたい。そうして自分は色々な他者に聞いてきている。

さぁ本題に戻り、才能について触れていきたい。「箱」の多さの次は、欲しい「箱」に近づける力である。
これは、「箱」の多さと連動していると思っていて、例えば、他者からの何かしらのactionによって確率分布が変化したとしても、自分はその分布を確認すれば修正したり・欲しい「箱」の可能性をあげる方向へシフトしていくという感じだ。周りの人間によく言われる、私自身が基本動じない・飄々としていて余裕を持っているように見える要因は、何かが起きたとしても確率が変わるだけと考えていて、イベントが起きてもその「箱」は既に知っていると思ってしまうからである。
具体的な近づけ方としては、毎回試行錯誤があるが、経験則に頼ってしまう部分が多い。やはり、人間赤の他人なので、どうやっても人1人の心情でさえ奥底は分かる気がしない。再び、Sonny Boyから引用すると

心の奥底は自分でも覗けない。

という感じに。

ここからはその能力の「開花と自覚」についてである。
「開花」した時期に対してはあまり興味はないが、おそらく大学の学部2,3回生あたりからな気がする。サークルの幹部を担ったことが影響として大きく、サークルのイベントで何かアクシデントがあったとしても、「あぁその「箱」か」といった感じで対処していった。何かを企画したり・運営したりする側で必要とされ、適切な場所でその才能は「開花」した。最近の出来事でいえば、ホームパーティー的な飲み会で仕込みをしておいたり、花見イベントを開催するためにスピーカーの準備をこっそりしておいたりとかなどの場面でその才能が発揮されたような気がする*3
「自覚」というのはまぁ自分に認識すればいいので、特にいうことはないが、運営をしている時期から、この考え方は他人と違うなというのを感じていたのでまぁそんな感じ。違うということは負のイメージかもしれないが、強みでもあると思うので大事に取っておきたい。

終わりに

自分が23年生きて培ってきたものの何割かをここで書いたような気がする。というか生き方そのものを書いたのかもしれない。このブログを読んで、自分という人間に対して周りの方が理解しやすくなったのではないかと思います。

Q:さぁこの才能、研究で使えるの? A:使えません。

*1:本来なら離散分布が正しいが、理解しやすくするため連続分布にしている。まぁ、n  \to \inftyなら連続になるし許して。

*2:シュレディンガーの猫というのは観測したときに猫が死んでいるか・生きているかの2択なので箱は1つであるが、例えば告白した後に、付き合うのか・友達のままなのか・振られるのか、などという現実問題に対しての複数の選択肢を考えると、「箱」を複数個として考えた方が理解がしやすいと思う。

*3:知っている人は知っているだろう