しそたの日記

更新は思いつき。人生も思いつき。

2023NF

なんか良さげな写真を1枚。

 NFについて書こうと思っていたら、あっという間に1ヶ月が経ちもう年末ですね。今年のNFでは色々と思うことがあり、記録として残しておこうと思いました。

1. 演奏した曲

 まぁとりあえず、自分がやった曲でも振り返ろうと思います。

1. 波乗りジョニー / 桑田佳祐(1日目,Ba)

 1曲目から情報量が多そうですが、めちゃくちゃ楽しかったです。木枯らしが吹く季節なのに全員半袖だし、途中でビデオカメラ鷲掴みして配信で見てくれる人たちも楽しませちゃうし*1、歌詞を書いたフリップが上手く捲れなくてボーカルは歌うこと放棄するし破茶滅茶バンドでした。終わった後に全員で"ミスっても楽しかった"と言い合えたことがどれだけ嬉しかったことか。聞いてくれる人もみんな笑ってくれて、本当に楽しかったです。

2. Ginger / TOMOO(2日目,Ba)

 6月ライブで一度やった曲をリバイバルですることになった曲です。演奏前に後輩に猫耳のカチューシャを付けていただいて、そのまま演奏しました。集合写真での自分の顔が近年稀に見る平和な顔をしていて少し驚きました。まぁ演奏は2回目だったし満足のいく演奏ができました。

3. 象 / 高橋優(3日目,Cj)

 この曲は最近仲の良い人たちで組んだバンドです*2。高橋優さんが関ジャニに提供した曲で、ジュニーズファンと高橋優ファンがいたので良い選曲でした。ただ、全員が歌うというアホな構成にしてしまったので転換に大変迷惑をかけました。自分の周りがスタンドだらけで面白かったです。まぁ結構むずい曲でしたが、5人ボーカルはおもろいね。

4. スプートニク / the peggies(3日目,Gt)

 いつかやろうとずっと思っていた曲でこれだけGt.で出演しました。実は初ギターで、まぁ状況もあって結構緊張したんですがかなり練習したということもあり、ほぼミスすることなく演奏できました。この曲については色々あるので、後半らへんに書こうと思います。ボーカルの子歌ってくれてありがとう。

5. 恋する10秒 / TOMOO(4日目,Ba)

 どんだけTOMOOやるねんという感じですが、やりました。メンツ的には頼れる後輩・同期しかいなくて安定した演奏をお届けできました。ただこの曲結構むずかったのでこれだけ譜面見ながら演奏しました。バイオリンの方が暇そうでしたね。

6. 忘れてやらない / 結束バンド(4日目,Cj)

 ここから2曲連続で結束バンドです。アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の12話をほぼ完コピしようという狙いですね。後輩の子がBa弾きたそうだったので、こちらの曲は譲って自分はカホンで出演しました。ギターは意味わからないくらい上手かったし、ボーカルの子はウインクしてたらしいので映像が気になります。

7. 星座になれたら / 結束バンド(4日目,Ba)

 ということで「星座になれたら」。後輩からわざわざスカートを借りて出演しました。最初と演奏途中で振り向くなどアニメの小ネタを色々挟みました。肝心の演奏はほぼミスはなくてスラップは結構上手くいった感触があります。ギターの1弦を切るところでみんな笑ってくれてよかったです。ラスト2曲は最後の合わせまで本当に完成するかどうか分からなかったんですが、なんとか完成してよかったです。

スプートニクをできて本当によかった

どうしてMC中にそんな傾くんだ。

スプートニク*3という曲は自分が大好きなthe peggiesの曲で、3年ほど前からずっと聴いている曲です。
 スプートニクのMCの中で、この曲のこと・自分のこと・サークルのことについて話しました。いつかあったコロナ禍でサークルが存続するかどうかのような環境で自分が幹部として働いていて、その当時ずっとこの曲をある意味モチベにしながら聴いていたことを思い返しながら、今ここまで音楽を続けてきたのも、今ここにいるのもこの曲が導いてくれたみたいなお話をしました。
 ここからは関係ない話なのですが、NFが終わってから本番で喋ったよりもいいMCが思いついたのでここで消化させてください。

(略)まぁ2,3年くらい経って、今NFで170曲くらいかなこんなに曲がひっきりなしに行われていて、みんなで演奏してみんなでそれを楽しんでいる風景を見ると、2,3年前にはなかった・4年前とそれとなく似ているけどちょっとが違う景色が確かに今ここにあって。最終日あるんですけど、3日目にしてこういう景色が綺麗だなぁって思うし、綺麗って一言で言い表せないくらい本当にいいもので。1つ思ったのは、その景色の中に高校生の頃思い描くような淡い青い春ではなくて、大学生だからこそ出せる深い夜空の中に1つ1つ(1人1人)が凛々しく輝く星空のような輝きがあって、今後はそんな輝きが途絶えることなく続いていってほしいなぁって思いました。(略)

2023NFを振り返って

[re:] / もう一度 ぼかし加工しました。

 2023NFは自分からするとコロナ禍以前と漸く同じ環境が整ったNFでサークル全体では169曲も演奏され、当時1回生だった4年前と肩を並べる曲数でした。そういった環境が戻ってきたという意味で、この2023NFはこれからのサークルに大きな意味をもたらすのかなとNF前に考えていました。また自分たちの世代がコロナ禍で運営を背負い、良いことも悪いこともやっていたことがじわりじわりと色々なところに影響を及ぼして表に出てくるのがこのNFだろうなと勝手に考えていました。
 おそらく、2023NFを運営してくれた幹部・運営代の子たちは自分では分からないほどのプレッシャーを背負っていたと思います。1年前は80曲程度だったのがほぼ倍の曲数だし、サークルの人数も増えて大変だったことでしょう。きちんと運営してくれた頂いたおかげで終了時刻にも間に合った気がしますし、全員満足してNFを終わることができたと思います。本当にありがとうございました。それもあって最終日の上回生からのサプライズにみんなが驚く顔好きでしたよ*4
 あと、いいものを見せてもらいました。先ほど述べた「大学生だからこそ出せる輝き」をスプートニクと同じ3日目のトリ曲「 [re:] / もう一度 」で見せつけられました。運営代2回生8人でボーカル回して最後全員歌うところあるし、ハモリも上手いしもうセコいじゃん。私は2回生でNFを経験していないのもあって、2回生だからこそできるものだと感じたし、"私たちは1人1人輝いています"ということを表現してくれているような気がして、感動して泣きながら写真撮ってました。全然4日目のトリ曲でもいいじゃんと思いましたが、個人的にはスプートニクと同じ日にやってくれて、エモなタイムテーブルでした。コロナ禍で運営をしていた自分がモチベにしていた曲で始まり、コロナ禍に生まれた「 [re:] / もう一度 」という曲をこのタイミングで2回生が演奏してくれて個人的にすごく思い出に残った3日目の第3部でした。本当にいいものを見させて頂きました。ありがとうございます。
 なんかこのブログの終着点がわからなくなってきたんですが、最初から言いたいことがあったんでした。4年前とどこか似ているけど新しい風が吹いているそんなNFを体験し、瀕死だったあの頃なんか無かったと思わせるくらい活気のあるサークルを見て、自分のやってきたことが少し報われる気分でした*5。こんなことを言ったら烏滸がましいと思ったのでスプートニクのMCで言わなかったのですが、

アンプラを守ってきてよかった。

心の底からそう思います。

*1:録画用のビデオカメラにVoの子の顔がドアップで映ってます

*2:今年から始めた映画を見る会。回生はバラバラです。

*3:the peggies 「スプートニク」(Music Video) - YouTube

*4:みんなおつかれさまでした。

*5:私の世代が復興を始めなくても誰かがやっていただろという意見・可能性は甘んじて受け入れるが、我々の世代だったからこそ出せる何かがあったと信じています。

続・4年間を振り返る。

はじめに

前回のブログで、4年間で得たものを

自分で考える限りでは「自分の意見の言える丸い人間になったな」と思う。

というあたかも誰でも言えそうなもので終わったので、これについて深掘りしていこうと思う。

なぜこう言ったのか

まぁ色々な理由があって上記のような簡単な言い方になったので、その理由を列挙していこうと思う。

  1. 物語の最後には自分の人間性について書きたかった。
  2. ブログを書くのにあまりに時間がなかった。
  3. 自分の生き方とアニメSonny Boyに通ずる点があり、Sonny Boyのあるセリフ「可能性の箱を開けているだけのただの観測者なんだよ。」を使いたかった。

雑に書くとこの3点という感じである。

深掘り開始。

さぁ深掘りしていこう。実は「自分の意見の言える丸い人間になったな」には続きがあって、「自分の才能の開花とその自覚」である。
まず、下の画像を見てもらいたい。

これは簡単に言えば僕の脳内を視覚化したものである。「箱」は未来に起こり得ること、「数字」と「グラフ」は起こる確率とその分布*1と解釈してもらいたい。

まず、注目したいのは自分の中に「箱」がいくつかあるかである*2。これは簡単に言えば、数学の場合分けと似ていてどれだけ分け、予測できるかである。経験上、自分には他者より「箱」の数がかなり多い。
そして、矢印で書いたように、それらの確率は何かしらのactionで変わると自分は考えている。会話だったり、行動だったりで。だから、自分は「確率論の中で生きている」とたまに思うことがある。
ここまで話して、「意見の言える丸い人間」にどう繋がるのかであるが、高校生のくらいまではそこに「矢印」はなく第一段階で止まっていたという感じである。ただただ確率分布を観測し、イベントが発生した時に箱を開け確認するという観測者であったということだ。だから、

「可能性の箱を開けているだけのただの観測者なんだよ。」

というセリフを引用した。

では次に、「意見の言える」について考えていきたい。
「意見を持つ・言える」というのはある段階で1つ「箱」を選ぶことと考えると、最終的に欲しい「箱」に近づける(遠くなる可能性もあるであろう)作業が可能である考えることができる。そうして、確率分布を変化していき、自分の欲しい「箱」・見たい「箱」の可能性を上げていく作業をしているという感じである。

こういった考えを纏めて、自分の才能であると気づいたのは比較的最近のことである。
まず、やはり「箱」の多さである。「箱」の数を多くするにはやはりどれほど「考え方」を吸収するかであると思う。経験則もあれば、本で知識を得ても良いし、他者に聞くことでも増えていくであろう。さまざまな考えを持つことで「箱」の数が増えると思う。小さい頃によく言われるかもしれない「相手の立場になって考えなさい」というその立場を増やす的なことだ。
ちなみに、本で知識を得るといったが、私はあまり本を読まない。ここ最近20代に入ってくらいからは読むようになったが、それまでは活字恐怖症あるいは縦書き恐怖症を名乗っていた。やはり、重要視すべきはその後に書いた、生身の人間の1対1のコミュニケーションにあると思っている。
ここで、コミュニケーションという点で1つ言っておきたいことがある。それは先輩には尊敬する気持ち50%・馬鹿にする気持ちを50%で、後輩には尊敬する気持ち70%・馬鹿にする気持ちを30%で接するという心構えみたいなものだ。パーセンテージは適当にしたがまぁこんなものである。嵐の二宮和也が先輩にタメ口を使うのと同じで、と有名人の名を借りるのはずるいとは思うが、考え方としては似ているような気がする。先輩を敬うだけでは越えることはできないと思うし、自分の考え方に固執せず新しい意見として新たな時代を生きる下の世代の考えることを聞いていきたい。そうして自分は色々な他者に聞いてきている。

さぁ本題に戻り、才能について触れていきたい。「箱」の多さの次は、欲しい「箱」に近づける力である。
これは、「箱」の多さと連動していると思っていて、例えば、他者からの何かしらのactionによって確率分布が変化したとしても、自分はその分布を確認すれば修正したり・欲しい「箱」の可能性をあげる方向へシフトしていくという感じだ。周りの人間によく言われる、私自身が基本動じない・飄々としていて余裕を持っているように見える要因は、何かが起きたとしても確率が変わるだけと考えていて、イベントが起きてもその「箱」は既に知っていると思ってしまうからである。
具体的な近づけ方としては、毎回試行錯誤があるが、経験則に頼ってしまう部分が多い。やはり、人間赤の他人なので、どうやっても人1人の心情でさえ奥底は分かる気がしない。再び、Sonny Boyから引用すると

心の奥底は自分でも覗けない。

という感じに。

ここからはその能力の「開花と自覚」についてである。
「開花」した時期に対してはあまり興味はないが、おそらく大学の学部2,3回生あたりからな気がする。サークルの幹部を担ったことが影響として大きく、サークルのイベントで何かアクシデントがあったとしても、「あぁその「箱」か」といった感じで対処していった。何かを企画したり・運営したりする側で必要とされ、適切な場所でその才能は「開花」した。最近の出来事でいえば、ホームパーティー的な飲み会で仕込みをしておいたり、花見イベントを開催するためにスピーカーの準備をこっそりしておいたりとかなどの場面でその才能が発揮されたような気がする*3
「自覚」というのはまぁ自分に認識すればいいので、特にいうことはないが、運営をしている時期から、この考え方は他人と違うなというのを感じていたのでまぁそんな感じ。違うということは負のイメージかもしれないが、強みでもあると思うので大事に取っておきたい。

終わりに

自分が23年生きて培ってきたものの何割かをここで書いたような気がする。というか生き方そのものを書いたのかもしれない。このブログを読んで、自分という人間に対して周りの方が理解しやすくなったのではないかと思います。

Q:さぁこの才能、研究で使えるの? A:使えません。

*1:本来なら離散分布が正しいが、理解しやすくするため連続分布にしている。まぁ、n  \to \inftyなら連続になるし許して。

*2:シュレディンガーの猫というのは観測したときに猫が死んでいるか・生きているかの2択なので箱は1つであるが、例えば告白した後に、付き合うのか・友達のままなのか・振られるのか、などという現実問題に対しての複数の選択肢を考えると、「箱」を複数個として考えた方が理解がしやすいと思う。

*3:知っている人は知っているだろう

4年間を振り返る。後編

後輩が卒業アルバムで選定してくれた写真を。

4年間を振り返る。後編です。
後編では「サークル・趣味編」として、4年間で起きた出来事を振り返っていきたいと思います。

サークル・趣味編

前編「学業編」と同じく、細かく見ていく前にざっと整理していこうと思う。
まず、前編との繋がりを考えると、学業の成績だけで人が分かるのかと言われればそれはもちろん否である。そのための後編でもあるし、多分こちらの方が内容が濃く、自然対数をとりたくなるくらいに分量が増えそうである。
サークルは簡単にいうと「軽音」・ちゃんと書くと「アコースティック系軽音サークル」に所属している。担当は基本ベースで、たまにカホンとかパーカッションとかナレーション(?)とかをしている。あと、なんやかんやあってサークルの副会長に約1年就いた。
趣味といえば、ダーツやドライブ、温泉に行くことである。ドライブや温泉に関してはいつも一緒に行ってくれる同期や後輩に感謝するばかり。
ざっくり言うとこんな感じなので、詳しく回生ごとに追っていこうと思う。
おそらくだが、96%くらいサークルの話をする。

1回生

大学に入ってから間も無く、構内は新入生歓迎がいくつもの場所で行われており、スキー部とか熱気球サークルとかに行った記憶があるが、最終的には、高校同期と一緒に軽音サークルに入会した。入った時に2年後に副会長をし、サークルで色んなんことをしているとは思っていもいなかっただろう。
楽器購入会で、先輩と一緒にベースを買いに行き、額の大きい買い物を初めてした記憶がある。新人ライブの練習で楽器経験者多くて最初は付いていけなかったけど、練習して追いつくみたいな感じで乗り越えました。夏には夏合宿があって、いろんな先輩方と交流しました。今思えば慕っているとある先輩Mと最終日に長く話した時はこの時か...
そこからは、NF・クリスマスライブと大きなライブを乗り越え、新2回生が運営代をするための準備へ、この時は幹部ではないので普通に仕事はなかった。
話は変わりますが、1回生の冬くらいからカフェでバイトを始めました。今でも続けて3年目くらいですがそろそろ辞めようと思っています。

2回生

さぁ新型コロナくんの出番です。この時サークルの会長は一緒に入った高校同期がやっていたんですが、春合宿の中止やライブの中止を決断せざる追えなくなり、心苦しい中連絡をしていたのを目の前で見ていました。あの時は悔しかったと思うけど、英断だったと思うので彼には誇ってほしいです。2回生の頃はサークル活動はどのサークルもできなかったと思うし、弊サークルもそうだったので違う話をしましょう。
2回生の夏休みは3回も旅行に行きました。給付金10万円のおかげで。高校同期で愛媛2泊3日・学科同期で北海道3泊4日・サークルメンツで滋賀2泊3日。全部楽しくて、初めての北海道はかなり感動した覚えがあります。冬には高校同期で奄美大島行ってますね。Airbnb旅めちゃめちゃ良かった。離島シリーズで旅行に行きたいけど、まずお金貯めなきゃですね。
この年の10月くらいからやってみたかった塾講師もやり、趣味としてやってみたかったダーツもマイダーツを買って始めました。コロナ禍で家を出ることもできなかったので、家にダーツボードを買い練習してました。写真を見返すと、2回生の途中でコンタクトにしてますね。今は眼鏡の方が好きなので眼鏡してますけど。

3回生

厳密には2回生終盤ですが、話をわかりやすくするためにここに。本来なら新2回生がサークルの運営代をするんですが、全く何もしていない1年間から引き継ぎをするのはまずいだろうと同期の間で話になり、自分の世代がもう1年運営代をするという話に落ち着きました。しかしというか、まぁ偶然、会長と副会長の方に就活が始まるということで、そこの首だけ入れ替えることになり、自分は副会長に就き、新人ライブで同じバンドだった子が会長になることになりました。ここからは前のブログで詳細に書いているので、ここでは少しまとめて書きます。

6月くらいからは新型コロナのワクチン接種がある程度進み、制限ありで活動できるようになりました。活動できるようになってから一気にアクセルをかけるという感じで行きたかったので、すぐさま行動に出て、サークル会員のことが書いてある名簿をすぐ作りました。この名簿は新入生にとって初めてサークルから物理的に受け取るもので、「これからサークル活動再開していくよ!!」という意味と「これからこの名簿は必要なバイブルになるだろう」という思いを込めて、対面で1人1人渡していきました。
本来なら5月に行う新入生のバンド組み会が8月になり、6月頃に行う予定の新人ライブは10,11月に行うことなり、異例のスケジュールまみれで大変でした。しかし、後輩たちのためにこのライブだけは他のライブより重要視して行う必要があり、どんな形でもこのライブは行う気持ちでした。計画は自分1人でなんとかなる部分もありましたが、やはり実働となると多くの方の助けでライブを行うことができたので、やはり温かいサークルだなと周りの方に感謝するばかりです。
あとはいくつかライブを行なって、1月に後輩に引き継いで任期終了です。引き継ぎの際に花束をもらったのはここ数年で一番の驚きでした。普段ある程度のことは見透かす自信がある自分が「やられた」と思ったくらいに。あと、幹部についてくれた1個下の子たちには感謝しています。どうにか君たちに良い意味で「先輩ヅラ」して欲しかった。それが良い経験になると期待しているので。

サークルの話が長すぎましたが、旅行の話をしておくと、夏に淡路島・徳島旅行に行きました。大塚国際美術館がデカすぎて困った。あとは冬に用事で沖縄に。3回生後半に免許を取ったので、この時期から車移動が増えました。ドライブに行ったり、温泉に行ったり。京都の有名な温泉はあらかた制覇しています。

4回生

4回生から始めたことが2つあって、麻雀と競輪。最悪な組み合わせなんですけど、やってみたら心の健康的にはたまに必要なんだなと思います。麻雀は今も続けていますが、競輪はたまーに見るくらいになりました。
サークルの新歓期では比較的穏やかに参加して、後輩たちを見守っていました。3年ぶりの夏合宿では、懐かしさを感じつつ、1,2,3回生が全て後輩という新鮮さも感じました。合宿が上手くいって良かったです。
9月には[the peggiesのライブ@名古屋] → [北海道一周旅行] → [the peggiesのライブ@東京]というハードで楽しいイベントもありました。北海道一周はしんどいですが、色んな景色が見れるし、食べ物が全部美味いので、また北海道行きたいですね。
そして、3年ぶりの対面でのNFが開催されます。合計5曲出演させてもらいましたが、ベースが2曲・カホンが3曲と意味のわからない割合になってしまいました。たくさんの人とバンドを組み、楽しめたので終わり良ければすべて良しという感じで。コンパの後に自分の家で8人くらいでオールしたこと、そのまま朝片付けに行ったこと、みんなの記憶に残っていることでしょう。
晦日と正月は、年越し蕎麦を蕎麦粉から作って食べるという企画をやりました。その後、平安神宮に初詣に行き、さらに車で生駒山まで行き初日の出を見るという良い年末年始でした。初日の出で自然の壮大さに感動しました。できれば来年もやりたいね。
サークルも4回生になり節目と言うことで「卒業ライブ」に出演しました。本当はもっと曲をやる気でしたが、卒業論文に邪魔をされたので少し悔しいです。自分じゃないけど、Stand By Youは選曲良かったんじゃないかな。卒業式では、後輩たちから卒業アルバムと寄せ書きをいただきました。予想より多くの方に書いていただいて驚きました。本当は1人1人語り合いたいけど、大人になるとそんなことは難しいので、書いてくれた方は機会あるときに話しましょう。ただ、こういう感情的なものを出す時に限って口下手なので、お酒を飲みながらにしましょう笑。
喋らない可能性もあるので、返信を言いたい数名に関してはここにも返信を書いておきたいと思います。

  • 今まで会ってきた後輩の中で一番「独自路線」って言葉が似合うヤツだった

  →これは自覚していて、これからも芯は貫くつもりなので見守っていてください。

  • 院生になってもアンプラ来てください!

  →誘え!! というのは難しいかもだけど、居たら優しくしてください。

  • 余裕そうな顔であの仕事量をこなしていたのかと畏怖の念さえ抱きます。

  →ヘラヘラしてるのはいつも通りだけど、前編の3回生で落とした単位数見てみようね笑。

  • 髪色コロコロ変わるの密かに楽しみにしてました笑

  →そろそろ髪色落ち着かせようとしてるので、自分で悲しくなってます。みんな染めような...

今後について

サークルについて今後か〜と考えると、就活とか研究によって参加頻度が変わりそうなので、何も分からないですね。まぁM1はしばらく顔出しそうな気がするので、皆さん優しくしてください。優しくする側なのかもしれないけども。まぁお互いに。

前編・後編まとめ

さぁようやくこのブログが終わろうとしている。勢いで書いて、少ししか修正してないから読みにくかったら申し訳ないなと思います。
友達も書いていたので、自分もこの4年間で得られたものを考えておこうと思う。自分で考える限りでは「自分の意見の言える丸い人間になったな」と思う。全く勉学には関係ないけど、大学で色んな人と出会い、生きていくスキルとして「自分の意見が言える」ことは高校生まで自分には無かったものだ。高校生の頃までは色んなことを考えすぎていて(考えることができて、が正しいかもしれない)、それこそアニメSonny Boyのあるセリフ通り

可能性の箱を開けているだけのただの観測者なんだよ。

というそのただの観測者だった気がする。物事を考えすぎて、達観しすぎて、色んな意見・視点があるのは想定できて、自分では決められない、外から眺めるただの観測者。おそらく自分はそうだった。だが、様々な考え方から自分が"そうありたい"・"そうしたい"ものを選び、自分の意見を持つこと・言うことで様々な可能性の中から自分が欲しい可能性の箱を開けることができた・開けようとすることができたということは今後に非常に大きな意味を持つと考える。
さぁ、次はどんな箱を開けるのだろうか。びっくり箱なのか、はたまた、毒物と猫が入った箱なのか。

4年間を振り返る。前編


この度、無事に京都大学工学部情報学科を卒業することに至ったので大学4年間を振り返っていこうと思います。

ふと、n年間(n自然数)を振り返ることをするのは大学卒業後にあと何回やるのだろうかと思った。1年単位の振り返りは年末年始にあるとして、2年以上の振り返りなんてこの先あるんだろうかと思ってしまう。こんなことを考えるようになったのは、23年も生きてきたからなのだろうとは思うが。

さて、4年間を振り返る前にこのブログの構成を考えるのに少し時間がかかった話をしていこう。まず、自分の語り口調は普段からかなり説明的すぎるのでそれを避けつつ・時にユーモアに・時にウィットに、を心がけてこのブログを書いていこうと心づもりした。さらには、時系列で起きたことを全て羅列するのか・学業やサークルなどのジャンルに分けてから時系列で書いていくのかを悩んでしまって時間を食った。結局、後者の方法で書いていこうと落ち着いたので、前編「学業編」・後編「サークル・趣味編」として構成していこうと思います。

学業編

回生ごとに振り返る前に、この4年間についてざっと整理していこうと思う。
まぁ学業といえば、「成績」が一番話題にくるであろう。他人に賢いと思われているのか、はたまたその反対と思われているのかは知らないが、自分の成績を評価するなら「中の下or中の中」くらいである。興味のある分野は進んでやるが、興味のない分野については単位さえ取れればいいと思っていた。実際にどのように単位を取得したかについては、下の表に書いておく。

回生 履修単位数 修得単位数 修得単位合計 学期GPA 累積GPA
1回 前期 36 (18コマ) 32 (-4) 32/144 2.94
1回 後期 28 (14コマ) 26 (-2) 58/144 2.61 2.80
2回 前期 34 (17コマ) 34 92/144 3.35 2.99
2回 後期 24 (12コマ) 22 (-2) 114/144 2.78 2.95
3回 前期 16 (8コマ) 8 (-8) 122/144 1.38 2.77
3回 後期 16 (8コマ) 12 (-4) 134/144 1.25 2.61
4回 前期 10 (5コマ) 6 (-4)+2 (卒業研究) 142/144 2.26 2.59
4回 後期 2 (1コマ) 0 (-2) +3 (卒業研究) 145/144 0.00 2.56

簡潔に振り返ると、前半の2年間で8割くらい取得し、後半の2年間はゆっくり取得していったという感じである。俗に「フル単」と呼ばれるものは2回生前期のみであったが、狙って落とすのも一つの技ではあると思うので、幾らか単位を落とすことにはあまり気にしなかった。
ここからは回生ごとに振り返っていこうと思う。

1回生

3,4年前のことになるのであまり思い出せないのだが、受験期時代から強かった数学の授業では良い成績は取れていたが、物理とかになると「あぁベクトル微分見たくねぇなぁ、rot!? div!?」みたいな感情になっていた。ちなみにgradは分かるけど、rot・divはもう知らない子。
1回生は一般教養科目(般教)がメインになるのだが、受験の時に使っていた地理学系の授業で結構興味を唆られた記憶がある。第二外国語のフランス語はヨーロッパ系の言語に触れられてかなり面白かったなと思っているので、取ってよかったなと思っている。「un bon vin(美味しいワイン)」だけめっちゃ覚えてる。いつか使いたい。

2回生

工学部情報学科では、2回生から「数理工学コース」と「計算機科学コース」のどちらかに行くのだが、自分は「数理工学コース」*1に希望しそのまま配属された。
2回生を語るのに必要なキーワードは「新型コロナウイルス」である。このキーワード抜きでここから先2年間を語ることはできない。
京都大学では、4月から5月頭のGWまで授業を中止していた。その間めっちゃバイトしてた気がする。
授業は全部オンラインになり、試験はレポート試験になることが多かったので、ノートをあまり取らず試験前に一気に勉強する自分にはかなり都合が良かった。先ほどの表で見た2回生前期で「フル単」を取ったことはオンライン試験の要因がかなり大きい。
授業の話をすると、2回生からは般教がある程度落ち着いて専門科目を取ることが増えてくる。この時期から情報数学というものにかなり触れた。「数理工学コース」の不思議な点として必修科目は無いが、選択必修科目と呼ばれるものがあって、2回生の時は同期を含め自分もこれに苦しめられた。*2

3回生

さぁ3回生になるのだが、コロナくんはこの年もまだ猛威を奮っている。この年かは覚えてないが、「収束するなら(数学的に)発散もするんですか!?」という会話をしていた。きちんと振動するパターンも考えて。まぁ発散されたら人類滅亡なので、収束することを望みます。
さて、3回生にもなると2回生終了時点で114/144単位修得していたので、あとはゆっくり気長に生活や〜と思っていた。が、ここから少し計算がずれてくるあ、生活リズムもずれてくる
残り30単位ほどなので、前期後期で半分ずつ取ろうと思っていた(まさに表に現れていると思う)。「恥ずかしい話」という語りで始めようと思ったがあまり恥ずかしくないので、「面白い話」という語りで始めよう。面白い話、3回生になってからサークルの副会長に就き、お陰様で学業との両立が怪しくなったので、3回生前期は16単位取っていたはずが、8単位だけの修得になった。結果、卒業できてるし、サークルの仕事も楽しかったので別にあまり気にしていないが、計算がずれたことに対しては当時ある程度の危機感はあった。

4回生

さぁ最終年次。コロナくんの猛威は1年前よりは無く、対面授業も再開されていた。
3回生終了時点で134/144単位修得しており、卒業研究で+5は確定しているので、あと5単位分必要だった。授業を半分落とす想定で前期で5コマ分(10単位)取ると、計算通り6単位修得し、後期で何も取らなくてもピッタリ卒業できるようになった。後期で記念に1コマ授業を取ったが、やる気が出ず、記念にGPA 0.00を頂いた。
4回生で欠かせないのは「研究室配属」である。興味のある分野でありつつ、確実に配属されそうなところを狙って希望を出した。結果、第一希望が通り研究室に配属される。
研究室は「白って200色あんねん」という言葉では表現方法が間違っているが、ホワイトすぎて逆に怖かった。なにせ発表が1人あたり1年で4回だけという少なさ。ただクオリティを求められるみたいなところはあって、そこだけは気を配った。
夏の大学院入試では合格し、後期からは卒業論文の執筆に移る。
卒業論文を書く時には、ひたすらに苦しんで、病んだりもした。化学や生物分野では実験すればデータが取れるんだろうなぁみたいなことに憧れた時期もあった。自分の研究はプログラミングしてデータセットも自分で用意する必要があったので、その点も苦しんだ。院生の方に手伝っていただき、最後に教授のフォローもあり、なんとか書くことができた。
卒業論文を書く中で、この進路で大丈夫なのかとふと思うことがあり、卒業論文と並行して、別の大学院を探すことにした。流れで卒業論文の発表会翌日に、冬の大学院入試を受けるというハードスケジュールを自分に強いることになったが、結果は合格を頂き、最終的には冬に受けた方に進学することにした。

今後の学業について

別の大学院と言っても、同じ京大内の大学院なので京都にはあと2年います。
研究内容は少し変わりますが、自分のやりたいことができそうな気がしているので(?)、じっくり研究していきたいと思います。大学院生活は少し楽しみです。

それでは、後編でお会いしましょう。

*1:ちなみに「数理工学コース」を説明してくださいと言われても「計算機科学コースでないコース」としか言えない。

*2:人に依るが自分は基礎数理演習・数理工学実験・プログラミング演習の3つ

the peggiesありがとう!また絶対に会おうぜ!

私はthe peggiesの素晴らしいライブの感想を書こうとしたが,それを書くにはTwitterの140字は狭すぎた*1

140字をpeggiesで満たすんだ。みくちゃんの体全体で表現するドラムまぁちゃんの安定したベースに、ゆうほちゃんの素晴らしいギターと歌詞たちに毎回感動した。再会(再開)の切符は持っておこう。活休は悲しいけど、大丈夫、前に進むだけさ。CHEESE!CHEERS! #thepeggies #MyWhite #ペギーズいいライブ *2

2022年9月20日 the peggies tour 2022 "My White"@渋谷Spotify O-EASTに参戦しました。誰が何を言おうと,自分史上一番最高で素敵なライブで,溢れる思いは幾つもあり過ぎて*3,感想なんて書き切れるわけないと思っていますが,the peggiesと出会えた運命を思い出・記録として,メンバーに見てもらえたらという高望みも込めて,頑張って書き切ろうと思います。

そしてthe peggies関係者の皆様へ。あまりにもMCを忠実に書きすぎているので,何かこのブログで著作権などを犯している場合は対応させていただくのでご連絡をお願いします。また,いつも素敵な楽曲・ライブを本当にありがとうございました。

*1:数学者フェルマーの名言を少し拝借した

*2:https://twitter.com/vk_dg/status/1572251987349209089

*3:LOVE TRIP / the peggiesの歌詞より

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25.5th iS OVER!

2022年1月6日をもって,約1年間のアンプラグド25.5期副会長の任期が終わりました。

あけおめライブの場で喋っているかもしれませんが,それ以上に喋りたいことあるし,読みたい人は読めるし,ブログに残しておこうかなと思ったので,しばらくお付き合いください。

正直に話したいので,ブラックな部分も話せたらなと思っています。

 

1.まずはありがとうございました。

割と破茶滅茶な運営をしました。連絡は1ヶ月前とかだし,後輩をしっかり見れたかというとなかなかYESとは言えないですね。それでも,ライブに出演してくれたり,係の仕事を手伝ってくれたり,色々な形でサークルに参加してくれた方全員に対して,ありがとうございました。

 

2.時系列で振り返ってみる。

新歓はZoomで行いましたね。入会説明会もZoomでやりました。新入生に配慮するために,連絡はLINE Official Accountを使っていたんですけど,今思うとやばいことやってますね。新歓やる日ごとにアカウント作って,それぞれに返信してますからね。アカウント10個くらい操作してましたね。

6月に公園でライブをしました。ライブはストリートミュージック初心者みたいな感じで面白かったですね。結構人も集まってくれてよかったです。

この時期くらいにサークル会員の体温を記録するためにLINE botを運用し始めましたね。プログラムは1週間くらいで完成しました。自分の中でも割と大きな作品なので就活で使えるのかななんて思ったりしています。

同じ時期くらいに,1回生の頃何もできてないであろう1つ下の後輩とオンラインでゲームするみたいな企画を1人で実行していました。合計で8名ほど*1と交流して実質囲い込みみたいなことしてたんですけど,音楽活動でなくても仲良くなれる手段はあると思ったので裏でこそこそやってましたね。

7月に交流会を行って,サークルの名簿を配りました。実は名簿にかなり重点を置いてました。この1年でサークル活動に関係あるもので物理的に実体となって受け取る初めてのものだったからです。これからサークル活動を徐々に再開していくよ!という意味も込めて,このタイミングで配りました。勢いで1ヶ月ほど*2で完成まで持ち込んだんだっけな。それほどここで配らなくては!と思っていたものです。

8月にようやく*3新人ライブのバンドを組んでもらいました。毎年思うけど,知らない人どうしを集めて喋らせる場というのは面白い。

10月と11月に新人ライブを行いました。正直このライブさえできればこの1年は他のライブはやらなくてもいいと思えるほど,大事なライブでした。新入生がライブできる場を用意できて良かったです。カホンを先輩や同期などから集めて10個借りるのはかなりしんどかったですけど,それでも後輩たちがしっかり演奏してくれて,やった意味あったなと思いました。初めて外部施設で行うにあたって、1ヶ月前くらいから準備していました。施設の人との打ち合わせもあるし,スピーカーの位置などどこに配置するかの図面なども書いていました。正直1ヶ月緊張しっぱなしでした。ライブは3回やったけど,終わった後は毎回ラーメン食べてましたね。最後に好きな先輩と喋りながら食べれたので嬉しかったですね。ちょっと書き過ぎましたかね。

11月には大学の文化祭の代わりに,独自でライブを行いました。普段通りの雰囲気が出てきて,いいライブになりました。同期の活躍も見れました。

12月にはサークルでイベントを行いました。予想よりも多くの人数が来て驚きましたし,イベント係の内容もかなり良かったです。イベント係ありがとね。

1月は1月ライブを行って,任期終了ですね。

 

3.振り返って思うこと

2021年は新型コロナワクチンの生産が開始され,ほどほどに外出・旅行もできたりなど,普段通りの生活が戻ってきた*4という感じで,そういった社会全体の「回復への良いイメージ」に同調または影響され,大学生活の中にも「何かしたほうがいい」という雰囲気があったのかなと思います。

それでも,例年通りにサークル活動は行えませんでしたね。ここが苦しむポイントでした。例年通り行けば,雛形があるので1から3または10を作れば,運営としては成立すると思います。しかし,雛形が通用しない以上,0から1または10を作る必要が2021年度の運営にはありました。雛形がある時代のことを甘く見ているわけではないですよ。運営している人たちからすればそんな簡単な言葉では言い表せない努力があるのでね。なので、毎回かなり準備してから実行に移してましたね。頭の中で何回シュミレーションしたことか。このおかげで基本ずっと緊張状態でした。ま,もう回復したので大丈夫ですよ。

あと,会長とほとんど毎回違う意見が出てきたのが,相性が悪いというか良いというかまぁ結果的には嬉しいポイントでした。話し合いをしてより良いものができる確率が増えるのでね。お騒がせしたと共に,お世話になりました。本当にありがとう。

嫌なこともちゃんとありましたよ。さっき言った緊張状態が続くこととかそうですね。家にいてもなかなか緊張取れなくて,好きな音楽*5でさえ嫌になって聞けなくなった時期ありました。あと、多かったのは連絡が遅いことですかね。まぁ“所詮”サークルなんで大学生にそんな完璧なほうれんそうなんて求めてないから怒ってはないんですけど,僕の中での最低限がない人には冷たく対応してましたね。そのくらいはこっちの権利だと思っていたので。運営4人に対して100人いるとしても、運営1人あたり25人ずつ対処してるんじゃなくて、運営というグループ1つが100人に対処してるのでそのところ勘違いされがちなのかなと思います。なので,何事も企画してくれるというか「場」*6を作ってくれる人たちには感謝したいですね。「場」を用意するのってすごい労力が必要ですから。

任期終盤に思ったことは,ライブに出ればよかったなと思うことでした。ゲームに例えるなら,ずっとゲームマスターをしている状態とか観客として見守っている感じで,この1年プレイヤーとして演者として出たことなんて全然なくて,少しサボりすぎてしまったのかなと思うことがありました。*7なので,未来の運営の人も,バンド組んで,ライブには出て欲しいと思います。

 

4.BiSHの解散発表

ちょっとだけ関係のない話をするんですけど,タイトルは最近2023年に解散することを発表したBiSHに感化されたものです。

「BiSHが一番かっこいい時に解散する」という目標のもとで2019年くらいから話し合いがあったそうですが,今輝いているのに,なかなかそんな決断なんてできないと思うんですよね。やっぱり,良い状態の中にいるとずっとこのままでいてくれと思ってしまいますよね〜。

でも解散を決めた。そういったBiSHを見て,去り際でもかっこよくいたいなと思えるようになりました。BiSHのメンバー:リンリンのコメントを引用しておきます。

嘘か本当かわからない永遠とかいってるよりかは,こうやって清掃員*8とちゃんと2023年で約束できたので,今はスッキリはしてないですけど良かったなって思ってて・・・(略)

この言葉にものすごく共感してしまいました。何事にも終わりが来るのは当たり前なんですけど,終わりを再認識させられると寂しくなりますね。それでも,というか,それすらプラスに捉えて行動するって並大抵のことじゃないと思います。

それぞれのコメントがすごく良いので,ファンの人は動画絶対見ましょうね。

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5.次の世代の人たちへ

正直に言いますが,それぞれの代の"色"*9を作って欲しいなという気持ちだけです。

雛形がなくてもできるよというのはちょっと嘘ですが,雛形から取捨選択したり,新しいことをやってみたりなどをしても私たちは運営できたのですから,同じようにできると思います。

注意して欲しいのは,「昔はそんなことしてなかったよ」とかいってくる先輩*10ですね。そんなこと言ってくる人がいたら,肩をぽんぽんと叩いて「もう運営代じゃないですよ。」と囁いて,そっと背中を押すというお手伝いをしたいと思っているので,そういう先輩いたら教えてくださいね笑。

あ,あとライブには出たいし,やりたい曲もあるので,仲良くしてください。

 

それでは,長い間お付き合いいただいてありがとうございました。

本当に1年間お世話になりました。

 

 

*1:割と少数なのは途中で力尽きたため。

*2:本来2,3ヶ月かけるはず。

*3:普段は5月くらいにやります。

*4:戻ってきたという表現が正しいのか,新しい生活様式を獲得したという表現が正しいのかは人の判断に任せます。

*5:the peggiesをよく聞いてたのに,全然聞けなくなった。

*6:「場」に「点」である人が集まるという自論というか考えを持っています。気になる人は僕に聞いてね。

*7:まぁ今はこんな少し暗い感じで捉えているだけで,いつかプラスに捉えられる日が来ると思っている。

*8:BiSHのファンのこと。

*9:色相・明度・彩度の3要素があるよ。

*10:老害のことですね。

歌詞について語りたい。

歌詞について語りたい。単刀直入に言えば,好きな歌詞とその表現の良さを伝えたい!と思いました。

突然の持論なんですけど,最近の曲ってなんか歌詞がグッとこないというか,歌うスピードが上がったのも原因の1つなのかな,歌詞に重きを置いてないのかなって思うんですよね。
自分もそんなに歌詞をめっちゃ重視するわけじゃないですけど,やっぱり,ふとした瞬間に耳に入ってくるものってあると思うんですよ。

そんなわけで,自分が好きな歌詞3つとその曲について紹介したいと思います。

彼女 / 佐野元春

佐野元春を知っている方いるでしょうか?今ではめちゃくちゃかっこいいおじさんです。
この方はロックミュージシャンですが,1992年に発売された「彼女」はバラード曲です。
この曲はSPECというドラマの映画「劇場版 SPEC〜結〜 爻ノ篇」で挿入歌として用いられています。

ところで,この曲の好きな歌詞を紹介していませんでしたね。
僕の好きな歌詞は,

流れてゆく 変わってゆく
街のざわめきを後にして
流れてゆく 変わってゆく
Here in the twilights

です。

twilightとは,黄昏時を意味します。曲の中の意味としては,人生の黄昏時や衰退期までも指していると思います。詳しくは歌詞を見てもらいたいですが,彼女を失った,または,彼女を亡くした男が,社会とか身の回りのことに流されている最中にはっと何かに気づいたんだと思います。その後の歌詞は,男が新しい一歩を踏み出そうとしている景色が描かれています。
約6分と比較的長い曲だからこそ,ゆっくり歌詞を楽しめる曲です。
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サラバかな / BiSH

次に紹介するのは,BiSHの「サラバかな」です。
BiSHとは,最近人気上昇中の楽器を持たないパンクバンドです。というか6人組アイドルグループ?な気がするけど。
なぜ,最近のグループを紹介するの?という感じですが,この曲はBiSHの曲の中でも一風変わっています。
なぜなら,歌詞が少し堅いというか小難しい単語が散りばめられていて本を読んでいる気分になります。

この曲は好きな歌詞が少し長いんですが紹介していきたいと思います。

途方に暮れ歩いていく それには気づかない
夢なら覚めぬのに 幾多後悔の日々
どこまで行こう 終幕へ どこへ行こうか?
サラバかな そりゃないな まだ中途だから
その手を離さないよ これからも共に時を縮めよう

「これからも共に時を縮めよう」ってやばくないですか?
普通の表現なら「時を一緒に過ごす」とかくらいになると思うんですけど,「縮めよう」と言われた瞬間に人生の時間が限られたものなんだなと気付かされてしまう。限られてるんだなと切なさを感じつつも,「共に」という文字が誰かと一緒に過ごすという安心感を与えてくれる。そんな入り混じった気持ちになってしまいます。
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スプートニク / the peggies

最後に紹介するのは,自分が最近かなり聞いてる3人組ガールズバンドthe peggiesからです。
ギターでボーカルの北澤ゆうほさんが基本的に全ての曲を作詞作曲されています。
個人的には北澤ゆうほさん天才だと思います。YouTubeのコメント欄とか見ると海外人気が結構凄そうです。

好きな歌詞を紹介していきます。

宇宙の隅に溺れた僕の声を拾った 君におくる歌
何億光年も先に飛ばした光が 僕の頬を撫でて流れてゆく

「宇宙の隅」は孤独を感じさせ,「拾った」というのは拾った人が僕にとって大切な人だったんだなと思わせてくれる表現だなと思います。「宇宙の隅」にいる僕が「何億光年も」かけて伝えたかった思いが涙として流れていったのかなと思います。

その伝えたかった思いってなんだろうなってずっと考えてて,そのヒントが続きの歌詞にあります。

僕の左脳から1622キロ たった5文字の言葉が
何度も傷ついて壊れて消えそうになって

1622キロって何か意味があるような気がするんですよね。
まぁ,ヒントって言うのはそこではなくて「たった5文字の言葉」なんですよね。
この5文字の言葉の正体は作詞した北澤ゆうほさんが正解を持ってると思うんですが,自分の中では「ありがとう」なのかなって思います。「さようなら」の可能性も少し捨て切れないんですよね〜。
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ということで,好きな歌詞紹介でした〜!!
知り合いの方とこういう話できたらいいですよね〜。