しそたの日記

更新は思いつき。人生も思いつき。

4年間を振り返る。後編

後輩が卒業アルバムで選定してくれた写真を。

4年間を振り返る。後編です。
後編では「サークル・趣味編」として、4年間で起きた出来事を振り返っていきたいと思います。

サークル・趣味編

前編「学業編」と同じく、細かく見ていく前にざっと整理していこうと思う。
まず、前編との繋がりを考えると、学業の成績だけで人が分かるのかと言われればそれはもちろん否である。そのための後編でもあるし、多分こちらの方が内容が濃く、自然対数をとりたくなるくらいに分量が増えそうである。
サークルは簡単にいうと「軽音」・ちゃんと書くと「アコースティック系軽音サークル」に所属している。担当は基本ベースで、たまにカホンとかパーカッションとかナレーション(?)とかをしている。あと、なんやかんやあってサークルの副会長に約1年就いた。
趣味といえば、ダーツやドライブ、温泉に行くことである。ドライブや温泉に関してはいつも一緒に行ってくれる同期や後輩に感謝するばかり。
ざっくり言うとこんな感じなので、詳しく回生ごとに追っていこうと思う。
おそらくだが、96%くらいサークルの話をする。

1回生

大学に入ってから間も無く、構内は新入生歓迎がいくつもの場所で行われており、スキー部とか熱気球サークルとかに行った記憶があるが、最終的には、高校同期と一緒に軽音サークルに入会した。入った時に2年後に副会長をし、サークルで色んなんことをしているとは思っていもいなかっただろう。
楽器購入会で、先輩と一緒にベースを買いに行き、額の大きい買い物を初めてした記憶がある。新人ライブの練習で楽器経験者多くて最初は付いていけなかったけど、練習して追いつくみたいな感じで乗り越えました。夏には夏合宿があって、いろんな先輩方と交流しました。今思えば慕っているとある先輩Mと最終日に長く話した時はこの時か...
そこからは、NF・クリスマスライブと大きなライブを乗り越え、新2回生が運営代をするための準備へ、この時は幹部ではないので普通に仕事はなかった。
話は変わりますが、1回生の冬くらいからカフェでバイトを始めました。今でも続けて3年目くらいですがそろそろ辞めようと思っています。

2回生

さぁ新型コロナくんの出番です。この時サークルの会長は一緒に入った高校同期がやっていたんですが、春合宿の中止やライブの中止を決断せざる追えなくなり、心苦しい中連絡をしていたのを目の前で見ていました。あの時は悔しかったと思うけど、英断だったと思うので彼には誇ってほしいです。2回生の頃はサークル活動はどのサークルもできなかったと思うし、弊サークルもそうだったので違う話をしましょう。
2回生の夏休みは3回も旅行に行きました。給付金10万円のおかげで。高校同期で愛媛2泊3日・学科同期で北海道3泊4日・サークルメンツで滋賀2泊3日。全部楽しくて、初めての北海道はかなり感動した覚えがあります。冬には高校同期で奄美大島行ってますね。Airbnb旅めちゃめちゃ良かった。離島シリーズで旅行に行きたいけど、まずお金貯めなきゃですね。
この年の10月くらいからやってみたかった塾講師もやり、趣味としてやってみたかったダーツもマイダーツを買って始めました。コロナ禍で家を出ることもできなかったので、家にダーツボードを買い練習してました。写真を見返すと、2回生の途中でコンタクトにしてますね。今は眼鏡の方が好きなので眼鏡してますけど。

3回生

厳密には2回生終盤ですが、話をわかりやすくするためにここに。本来なら新2回生がサークルの運営代をするんですが、全く何もしていない1年間から引き継ぎをするのはまずいだろうと同期の間で話になり、自分の世代がもう1年運営代をするという話に落ち着きました。しかしというか、まぁ偶然、会長と副会長の方に就活が始まるということで、そこの首だけ入れ替えることになり、自分は副会長に就き、新人ライブで同じバンドだった子が会長になることになりました。ここからは前のブログで詳細に書いているので、ここでは少しまとめて書きます。

6月くらいからは新型コロナのワクチン接種がある程度進み、制限ありで活動できるようになりました。活動できるようになってから一気にアクセルをかけるという感じで行きたかったので、すぐさま行動に出て、サークル会員のことが書いてある名簿をすぐ作りました。この名簿は新入生にとって初めてサークルから物理的に受け取るもので、「これからサークル活動再開していくよ!!」という意味と「これからこの名簿は必要なバイブルになるだろう」という思いを込めて、対面で1人1人渡していきました。
本来なら5月に行う新入生のバンド組み会が8月になり、6月頃に行う予定の新人ライブは10,11月に行うことなり、異例のスケジュールまみれで大変でした。しかし、後輩たちのためにこのライブだけは他のライブより重要視して行う必要があり、どんな形でもこのライブは行う気持ちでした。計画は自分1人でなんとかなる部分もありましたが、やはり実働となると多くの方の助けでライブを行うことができたので、やはり温かいサークルだなと周りの方に感謝するばかりです。
あとはいくつかライブを行なって、1月に後輩に引き継いで任期終了です。引き継ぎの際に花束をもらったのはここ数年で一番の驚きでした。普段ある程度のことは見透かす自信がある自分が「やられた」と思ったくらいに。あと、幹部についてくれた1個下の子たちには感謝しています。どうにか君たちに良い意味で「先輩ヅラ」して欲しかった。それが良い経験になると期待しているので。

サークルの話が長すぎましたが、旅行の話をしておくと、夏に淡路島・徳島旅行に行きました。大塚国際美術館がデカすぎて困った。あとは冬に用事で沖縄に。3回生後半に免許を取ったので、この時期から車移動が増えました。ドライブに行ったり、温泉に行ったり。京都の有名な温泉はあらかた制覇しています。

4回生

4回生から始めたことが2つあって、麻雀と競輪。最悪な組み合わせなんですけど、やってみたら心の健康的にはたまに必要なんだなと思います。麻雀は今も続けていますが、競輪はたまーに見るくらいになりました。
サークルの新歓期では比較的穏やかに参加して、後輩たちを見守っていました。3年ぶりの夏合宿では、懐かしさを感じつつ、1,2,3回生が全て後輩という新鮮さも感じました。合宿が上手くいって良かったです。
9月には[the peggiesのライブ@名古屋] → [北海道一周旅行] → [the peggiesのライブ@東京]というハードで楽しいイベントもありました。北海道一周はしんどいですが、色んな景色が見れるし、食べ物が全部美味いので、また北海道行きたいですね。
そして、3年ぶりの対面でのNFが開催されます。合計5曲出演させてもらいましたが、ベースが2曲・カホンが3曲と意味のわからない割合になってしまいました。たくさんの人とバンドを組み、楽しめたので終わり良ければすべて良しという感じで。コンパの後に自分の家で8人くらいでオールしたこと、そのまま朝片付けに行ったこと、みんなの記憶に残っていることでしょう。
晦日と正月は、年越し蕎麦を蕎麦粉から作って食べるという企画をやりました。その後、平安神宮に初詣に行き、さらに車で生駒山まで行き初日の出を見るという良い年末年始でした。初日の出で自然の壮大さに感動しました。できれば来年もやりたいね。
サークルも4回生になり節目と言うことで「卒業ライブ」に出演しました。本当はもっと曲をやる気でしたが、卒業論文に邪魔をされたので少し悔しいです。自分じゃないけど、Stand By Youは選曲良かったんじゃないかな。卒業式では、後輩たちから卒業アルバムと寄せ書きをいただきました。予想より多くの方に書いていただいて驚きました。本当は1人1人語り合いたいけど、大人になるとそんなことは難しいので、書いてくれた方は機会あるときに話しましょう。ただ、こういう感情的なものを出す時に限って口下手なので、お酒を飲みながらにしましょう笑。
喋らない可能性もあるので、返信を言いたい数名に関してはここにも返信を書いておきたいと思います。

  • 今まで会ってきた後輩の中で一番「独自路線」って言葉が似合うヤツだった

  →これは自覚していて、これからも芯は貫くつもりなので見守っていてください。

  • 院生になってもアンプラ来てください!

  →誘え!! というのは難しいかもだけど、居たら優しくしてください。

  • 余裕そうな顔であの仕事量をこなしていたのかと畏怖の念さえ抱きます。

  →ヘラヘラしてるのはいつも通りだけど、前編の3回生で落とした単位数見てみようね笑。

  • 髪色コロコロ変わるの密かに楽しみにしてました笑

  →そろそろ髪色落ち着かせようとしてるので、自分で悲しくなってます。みんな染めような...

今後について

サークルについて今後か〜と考えると、就活とか研究によって参加頻度が変わりそうなので、何も分からないですね。まぁM1はしばらく顔出しそうな気がするので、皆さん優しくしてください。優しくする側なのかもしれないけども。まぁお互いに。

前編・後編まとめ

さぁようやくこのブログが終わろうとしている。勢いで書いて、少ししか修正してないから読みにくかったら申し訳ないなと思います。
友達も書いていたので、自分もこの4年間で得られたものを考えておこうと思う。自分で考える限りでは「自分の意見の言える丸い人間になったな」と思う。全く勉学には関係ないけど、大学で色んな人と出会い、生きていくスキルとして「自分の意見が言える」ことは高校生まで自分には無かったものだ。高校生の頃までは色んなことを考えすぎていて(考えることができて、が正しいかもしれない)、それこそアニメSonny Boyのあるセリフ通り

可能性の箱を開けているだけのただの観測者なんだよ。

というそのただの観測者だった気がする。物事を考えすぎて、達観しすぎて、色んな意見・視点があるのは想定できて、自分では決められない、外から眺めるただの観測者。おそらく自分はそうだった。だが、様々な考え方から自分が"そうありたい"・"そうしたい"ものを選び、自分の意見を持つこと・言うことで様々な可能性の中から自分が欲しい可能性の箱を開けることができた・開けようとすることができたということは今後に非常に大きな意味を持つと考える。
さぁ、次はどんな箱を開けるのだろうか。びっくり箱なのか、はたまた、毒物と猫が入った箱なのか。